ひきこもれ ひとりの時間をもつということ 吉本隆明 SB新書
【Summary】
もっと社交的になれ。面白い話をしろ。何か楽しい話はないか。
はぁ、ググったらいいじゃないですか。
世間は、コミュニケーションの上手な人間を求めている。
そのためのスキル本や講習もあるくらいだ。
別に、コミュニケーションが上手でないといけない理由はあるのだろうか?
そもそも上手ってなんだ?思ったことが伝わる?おこがましいな。
そんな僕は、自分の殻に引きこもってみたくなった。みなさんも、ぜひ✨
殻にこもる(/・ω・)/カチコチ
人との関係に壁を作って、自分なんて。自分なんてさ。どうせさ。。。と殻にこもったことがある経験がある人間は、きっと自分だけではないだろう。
最近は、もっと社交的になれ、コミュ力大事!なんて文句が巷にはあふれかえり、そういう風になろうという風潮に乗せられて本が売れているような気がします。
どんな人とも仲良くなれて、明るく楽しく話せるってのは、自分にできないことだからすごいなと思っていた時もありました。
でも、よく考えなおしてみると、そんなにたくさんと仲良くしたら、ただでさえ記憶力が良くないのに、面倒臭がりなのに関係性が希釈になるなと思ってしまった。そもそも無理だからそんなことできないんですけどね。
ある程度、話すことができたらいいし、自分の得意分野ではないところは聞くに徹して、疑問を投げかけて深堀する方が楽しいなと感じるようになると楽でした。
自分の中に引きこもる時間があったからこそ磨くことのできた感性や言語があるんだろうと思います。
そういう時間を過ごしたからこそ、すこし?天邪鬼になり、逆説的な本にひかれこのタイトルの本を手に取ってしまったんだろうと思います。
色々な筆者の発言に衝撃を受けるとともに、共感せざるを得ませんでした。
若者たちよ、ひきこもれ
そんな章から始まる痛快な本です。
時間をこま切れにされたら、人は何ものにもなることができない
ひきこもれ ひとりの時間をもつということ 吉本隆明 SB新書 (P.32)
(略)世の中の職業の大部分は、ひきこもって仕事をするものや、一度はひきこもって技術や知識を身につけないと一人前になれない種類のものです。
書き出しから、なるほどと頷ける内容が書かれています。
コミュ力を注視した本は、いわゆる売込みをするときなど対人関係が生じる場を想定していますが、そもそもの職業は一人で地道にコツコツやる時間がないと身に付きません。
人に教えてもらい、ほんとかな?ほんまかいな?と疑いながらもやってみてできて驚く、もっといい方法を見つけてニンマリする。そういう時間を持たないことには成長はありませんね。
最近読んでいる他の書籍でも、似たようなことが述べられていました。
カンタンに抜粋しますが、要はひきこもる時間が大事といっています。
近頃の青少年の患者さんたちに、「物差しとしての自己」が非常に薄いと思うからなんです。(略)「自閉する能力」がないのね。ひとりで自分の部屋にこもって何かを考えたりする能力がないの。(略)自分ひとりで空想にふけるような形ができない。そういう傾向はだんだん、だんだんひどくなっているけれども、みんなのなかにあるね。これ、ちょっと考えてみてください。
精神科講義 神田橋條治 林 道彦・かしまえりこ 編 SSRIが登場してからの連想(P.136-137)より
今、社会的ひきこもりというのは大問題なんだけれども、お釈迦様でもキリストでも何とか阿闍梨でも、みんな社会的ひきこもりを通して立派になっているの。
ひきこもる時間がなかったら、歴史上の偉人もいなかったのかも知れませんね。
ひきこもりという名の修行を積んでいる、なんてのんきに見てあげるのも難しいですが( 一一)💦
その他、ひきこもり☞不登校を連想する方も多いかと思います。
自分の場合は、学校に行かないという選択肢がなかったので、そんな方法があったのかと思い、少しサボってみたくなったことは内緒です(^^♪
そんな不登校に関しても面白いことを書かれていました。
学校なんかに期待する親は大きな間違いを犯している
ひきこもれ ひとりの時間をもつということ 吉本隆明 SB新書 (P.84)
(略)でも「学校にさえ行っていれば」「学校の勉強さえしていれば」という前提は間違っています。
親というのは一様に、自分の子どもが学校制度の中で真面目に勉強して卒業していくものだと思っているのです。(略) 自分だって、適当に遊んで、適当に及第点を取ってというようにやってきたに違いないのです。よほどの優等生以外、そんなものです。
幸い、自分は親にはあまり勉強しろといわれた覚えはありません。
本当に素敵な場所で勉強が面白いものだったら、秘密でこっそりやると思うんだけど、嫌でつまらないものだから、声を大にして、義務だと言い放って行うんでしょうね。
親は自分のことを棚に上げて、子どものことをやんやいうので、子どもも困っちゃうんだと思います。
親が仕事を楽しくやっていたり、帰るなり目を輝かせて勉強をしていたら真似しちゃうでしょうね。
少なくとも学校に行きなさいという親は馬鹿の一つ覚えでその文句を言っているんでしょう。
この本を読み進めていくうちに、なかなか衝撃的な話題に触れる部分があります。
子どもの自殺は親の代理死である
ひきこもれ ひとりの時間をもつということ 吉本隆明 SB新書 (P.100)
残酷なようですが「あなたの子どもは、他でもない、あなたの代わりに死んだのではないですか」と言いたくなるのです。世間を啓蒙して回る前に、自分自身を見つめた方が早いのではないか。そう思うのです。
自殺、とくに『いじめ』の絡んだ自殺はセンセーショナルです。
いじめる、いじめられるといった子ども同士の関りだけでなく、その背景には親も関わっているんだよと書かれていました。
読んだ時には、驚くとともに、そういうこともあるのだろうかと思いました。
『子は親を救うために「心の病」になる』 高橋和巳 ちくま文庫 に似たような記載があり、子どもは自分の親が抱えた問題に向き合えるように心の病を発症するのだと書かれていました。
児童精神の分野では常識なのでしょうか。わかりませんが、事例を見ているとそうとしか思えないような例が多いです。
もちろん、事件の真相を探ることも大事ですが、その背景にあったであろう親の過去の感情や経緯を振り返ることも一つの大事なプロセスなんだろうと思います。
なんだか、この話題で締めくくるのも気が引けますが、ひきこもることをはじめとする社会現象をマイナスな側面だけで捉えるのではなく、こういった利点があるのかと気づかせてくれる本でした。
書店で惚れて購入しましたが、これだけの知的格闘・経験を1000円以内で体験させてくれる最高のエンターテイメントだったと思います(/・ω・)/
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