スマホ脳の前の世界に思いを馳せる。

脳 自分哲学


スマホ脳という本が有名になっていることはみなさんご存じだろう。
その本を読んでみるのもいいし、もう一度読み返してみるのもいい。
自分の場合は、少し自分の人生におけるスマホ史を振り返ってみるとともに、どのくらい影響を受けてしまっているのかを振り返ってみようと思う。

日常生活において、スマホを使用しない生活はなかなか想像しづらい。
小学生の頃は父親のケータイをいじるくらいで、パソコンも大して使ったことはなかった。
友人がiPodを持ち歩いているのを見て羨ましいなと思った中高時代。
スマートフォンというものを持ち歩きだしたのは大学に入る頃だった。
よくわからずに、LI〇Eというアプリを入れて、他にも周りがやっているというツ〇ツ〇というゲームをダウンロードして、スマホを使用する時間が伸びていった。
ガラケー時代にもあった着信音や通知であるが、これをオフにしていないとどこまでもSNSが追いかけてくるようだった。
人から連絡が来たらすぐに返さないといけない。溜めると返すのが面倒になるからさっさと返すようにする。仕事の内容だったら。。。等々
レスポンスが早いと好印象が持たれるものではあるが、その分、自分はそこに拘束されることになる。
次第に、頼まれる物事や内容も増えていき、大変なのにもかかわらず返事を書いて送ることが快感に変わってくる。仕事そのものよりも返事を送ることに。
こうやって、スマホ脳に仕上がっていく。
空いた時間は動画を見る、ゲームをする。そんな時もあったが、それは刺激を絶やさないための方法にしかすぎず、常に本質からは遠い状態にあった。
はじめはよくても、次第に疲れてくるようになり、スマホを離してみるものの、また何か気になっては手に取って触る。
やめたくなった時にはもう離してもらえない。。。
自分の中にある脳のどこかに、、、いや、ドーパミンを分泌するA10から側坐核へと至る回路、報酬系と言われる経路がハッキングされている状態になっているのだ。

ここから抜け出していくには、少しずつスマホ時間を断ち、遠ざけ、意図的に自分の行動を行わなければならない。それほどまでに無意識化されてしまっているのだから。

人類史においても、自分史においても、たった少しの期間のことなのにこんなにも自分の生活をかき乱すものを上手に制御していかないといけないなと自覚した。
今のものを上手に使いこなすことが大事で、決して使われてはいけない。





今、とある場所で外の景色を見ながらのんびりと過ごしている。
こんな過ごし方はコスパを考えたら非効率的で、損が多い。
でも、心が落ち着き、なんだか懐かしい気持ちになる。
そういえば、小さい頃もこんな風に空を眺めて、雲の動きや形の変化を見て1時間以上ぼーっとしていたことがあった。
誰かにやれと言われたわけでもなく、ただ何となくそうしていることが自分を保つことであるかのように、ぼーっと見つめていたのだ。
こういう無目的な時間を持つことが必要なのかもしれない。
無目的で無意味な時間の中に、急に意味が生じることがある。それはまた逆も然り。
無を大切にして過ごしてみることが、スマホ脳の前に帰るきっかけを自分に与えてくれるんかもしれない。

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