嫌い

自分哲学

【Summary】
好き嫌いはよく話題になる。
嫌いな人はどのくらいいるだろうか?
なんで嫌いなんだろうか?
嫌いな人の話題ってなんであんなに盛り上がるのか?


大っ嫌いなんだよね(/・ω・)/ボソッ

嫌いな人っていると思います。
でも、その人の何が嫌なのかちゃんと言語化している人も少ないです。
何となく嫌!気にくわない!なんて相手もいたりします。

昔(原始時代?幼少期?中高生?)と比べて、交流する人の数が増えたせいもあるでしょう。
素敵な出会いもあれば、何この(ゴミみたいな)人⁉という人に出会います。

嫌いな人の数も特徴もあまり気にしたこともなかったですが、改めて考えてみることにしました。

声が大きくて、うるさい
自分のことしか話さない
打算的、効率ばっかり考える
待てない、せっかちさん
イライラしている

一般的にも嫌われそうな人間ですね。


でも、これって、嫌な人の特徴というよりか、自分が品下ったときの状態だなと感じます。
忙しくて、これやらなきゃ、あれやらなきゃって思っているときには、せっかちだし、相手のことを待てない状態になっている。

ふと昔聞いた曲を思い出しました。

アンジュラ・アキ 「リフレクション」

ある偉大な女性が言った「他人(ひと)の顔をよく見なさい」と

「それは鏡と同じで 自分が映っているはずだ」

そんな歌詞がある。


あー、嫌いな相手は、自分の嫌な部分をまざまざと映し出しているからこそ嫌だなと感じてしまうんだなとおもった。
別に聖人君子でもないから、どんな人も好き、分け隔てないなんてことはできない。
そうなれるように努力はするけど、そんな生き方はできていない。
でも、そういう嫌な部分を見ながらも向上していこうと努力することに意味があるのかなと感じる日々です。


嫌いな人、嫌な部分を見つけたら、目を背けるのではなく、
「なんで嫌いなのか」
「なんで嫌なのか」
考えてみると、自分の進化・成長のための材料になる。

少し、嫌な人にあるのが楽しみになるんじゃないかな?



コメント

タイトルとURLをコピーしました