普段から考え事をするが、もう少しだけ考えてみた。
そう、ほんの少しだけ。
忙しく生きていると考える暇さえなくなってしまう。
忙しく働いて、それに無我夢中に食らいついて、気づいたころにはもう終わっていて、疲れて帰って寝る。食って寝て起きて働く。この繰り返しの日々。
そんな日々もあったし、そんな日々は賛美されるのかもしれない。
若いころには、買ってでも苦労をしろという。
自分はまだ比較的若い世代に入るのだろうか。
苦労をわざわざ買うというより、振りに乗るという表現がいいのでは?と思うこともあった。
がむしゃらに働いた時期は、体が疲れるが、良くも悪くも精神的な疲労はそれほどない。
本質的なことを考えずに過ごせる期間でもあるからだ。
時間の空いた時にこそ、「この仕事の本来あるべき姿は何なのだろうか?」と問い始めてみると、現実と理想のギャップを感じ、悶々とした気持ちになる。
でも、この『問い』を立てずしては、何事も成し遂げることは難しいだろう。
ただただ、人に言われたようにがむしゃらに働いている日々は、頭を使わずにお金がもらえて楽かもしれないが、自分の初心や理想が徐々に霞んできてしまう。
楽な、思考しない方法で収入がある程度できてしまうと、「これでいいよね」と考え始める。
周りと同じようなものを買い、流行に乗り、あたかも現代を現代風に生きる現代人のように振舞う。
これでいいのだろうか?
仮に答えが出なくとも、答えられる人がいなくとも、問い続けることはやめてはいけない。
「この職業の、仕事のあるべき姿はどうなのだろうか?」と問い続けなくては、自分のスタート地点が崩れ去ってしまうような感覚にならないだろうか?
今は刺激的なものが多いからご誤魔化せるよな。そこに何も魔法のような素敵な力はないのにそう錯覚させてくれる誤魔化し。町の騒音、宣伝、道行く人の大声、派手な商品、美味しそうにつくられた食事・・・それは、志を中断させるには容易い。
別に一度は寄り道してみたらいい。そして後悔したらいい。あ、合わないな、でも、これは何かに使えるな。などなど。
自分の理想の道を歩もうとした瞬間から、常に誤魔化そうとするものが誘いをかけてくる。
自分にはこうしたい、こんな世の中を作っていきたいという思いがある。
今の仕事を目指したときの大事な初心がある。
忘れそうになったこともあるけど、どこかで気づかせてくれる自分がいる。
理想をかなえる道は必ずしも一本ではないし、近道とも思わない。
トンデモナイ回り道が、最短ルートだったりする。歩んだ道を正解に。
きっとまた忙しくなるだろう。
そんな時はこの書き残したことを読み返して、「問う」「考える」ことを思い出してほしい。
世界のディストピア作家たちの書籍を見返してもいいだろう。
華氏451度は、考える時間の大切さをまた気づかせてくれるかもしれない。本棚に常備しておくことだな。
はじめはこま切れでもいいから考える時間を作るんだ。1分、3分、5分、、、
自分を取り戻す時間をもつこと。
すなわち、初心を取り戻す時間をもつこと。純粋で、まっすぐで、素直な気持ちを。
初心。
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