恥ずかしい、とは。

自分哲学

【Summary】
上手くできなかった、はずかしい。
公衆の面前で指摘された、恥ずかしい。
恥ずかしいという感情は、今までにどのくらい抱いただろうか?
恥ずかしいという感情について考察してみる。


(/ω\)こんな感じかな!?

恥ずかしい時、人は手で顔を覆う。
両手で顔面を覆えるわけでもないのに、なぜか顔を覆う。
自然な行動パターンとして、恥ずかしい時に顔を覆う。
いっそのこと、今はやりのファッションであるマスクを活用して、3枚くらい使って顔面を覆う方がいいのかもしれないw

冗談はさておき、いつからこの感情が芽生えだしたのか、振り返ってみようと思う。

ハイハイとは、高みを目指す、High-Highに由来するらしいw


少なくとも、保育園に入る前にそんな感情はなかった。
おしっこも、うんちも漏らしまくり、口からこぼし、日々失敗?というか試行錯誤の連続だった乳幼児期。この時期に挫折していたら、僕はいまだにハイハイしていたかもしれませんw

幼少期の挫折を引きずる成人女性とみることもできますよね(/・ω・)/

挫折した、失敗した、後悔している、悔しい、恥ずかしい。
そんな感情に目覚めたのはいつからだったろうか?

小さい頃は、これができた、あれができたと報告しては、褒められ、喜んでもらえ、嬉しい日々だったように思う。
今は、別にできて当たり前という環境なのかもしれない。
その点は、仕方なしとしよう。

ただ、恥ずかしいからこれをしない、聞かない、こう思われるからいやだというのは、自分中心に考えてしまっている状態ですね。


正直、そんな小さな感情に振り回されているようじゃ、何もできないです。
人から後ろ指をさされるような生き方を勧めているわけじゃなくて、
自分がこうしたいと思う目的があるなら、どう言われようとも、どんな恥ずかしい思いをしようとも気にならない。

ある意味、滅私なのかなと思う。

小さいころのような必死さと、自分中心の世界観からの脱却で少しは恥ずかしさが減るのかなと思う。

恥ずかしいうちは、文句が出るうちは、必死じゃない。
必死になれば、それをみて色々評価する人がいるだろう。
評価してくる人は、マラソンを沿道で見ているようにその一瞬しか見ていない。
伴走しながら、こうだねと建設的な批判をしてくれる人はいいかもしれない。

評価を気にするより、恥ずかしいと思うより、まずは目的をはっきりして進んでみるのが先かなと。
※自分自身に言い聞かせながら書いております(/・ω・)/

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