最近ね・・・

自分哲学

【Summary】
新聞を読むようになった。書いてある内容は大したことない。月に3000円を払う価値があるのかと思ってしまうくらいPoorなものが多い。と序盤から批判してみた。
新聞をはじめ、ネットニュースを見てどう感じているでしょうか?
いじめ問題やSNS、情報偏食に関して少し書いてみようと思います。

あちゃー、なんかみんないじめってやつにはまっちゃってるよ。
※画像はイメージです。Unsplash

新聞記事やネットニュースの論調はいつも面白い。
こんないじめがありました。被害者?は困っています。いじめをした側は、「いじめになると思わなかった」と。こうした問題が増えている。専門家はこう言います。深刻ですね。
この記事から学びにつながることとすれば、「解決しようとしない問題」ほど、他人行儀な記事になり、要領を得ないということである。

もう少し攻め込んだ記事を書いてほしいなと感じるので、勝手に考察してみる。
①いじめとは。
②いじめは誰が悪いか。
③いじめをなくす必要はあるのか。

①いじめとは。
いじめは強い人が弱い人を力などを使って身体的に、精神的に追い詰めることと考えられます。
この時に多数対個人の可能性もありますが、個人同士のことも考えられます。
前者の場合は、逃げ場のない感じが余計に精神的ダメージを与えるのかもしれません。
いじめは加害者が被害者候補に対して負の感情(妬み、不満など)を抱き、自己浄化できなかった際に言動として直接的・間接的に顕在化する事象と考えられます。
ま、要はムカッとしたことをエイってやっちゃったってことです(/・ω・)/

②いじめは誰が悪いか。
これには加害者を第一に責める意見が多いのかなと思います。
すごくねじれた意見では、ねたまれた被害者も悪いという見解も出るかもしれません。ヒネクレテマスネw
いじめる側も、いじめられる側もzero-sumではないんだと思います。
どっちも心を病んでいるんだと思います。
それを気づけない、もしくは看過する双方の親も病んでいます。
そのことに気づかない担任の先生も、周りの子も病んでいます。
みんなスマホばっかり見て、人の顔を見ないからどんどん病んでいくw
こういうニュースを記事にしたり、報道している人も何かしようとしているんじゃなくて、病んでいるから何も書けない。書いたところで根っこは掘らずに掘って埋めてを繰り返す。
じゃあ、社会が悪いのかといえば、それも一理あるけど、そうすると他力本願な人が出てくる。
誰が悪いかはみんなが悪いにしておこう。
そしてここからが大事で、だれが悪いかを論じて終了なんじゃなくて、何ができるかなんじゃないかなと。
いじめた側の生まれ・育ち・家庭環境を親が真摯に見直すか。それはいじめられた側も。
当事者は自分はくそだったと反省したらいいと思う。
その反省なしには前に進めないから。くそだったけど、これからこう生きていきますでいいと思う。

③いじめをなくす必要はあるのか。
そんな論を展開するくらいなら、やれることをやったらいい。
結局のところ、いじめるしか能力を発揮できない人間がいじめをするのでしょう。
好きな本を読んで没頭している人間がわざわざ人をいじめますか?
熟練した職人がいいものを作り出そうとしているときに妬みの気持ち・意地悪な気持ちで素晴らしいものが作れるでしょうか?
いじめはなくならない。だって今の社会に必死にやることがないから。
なくす必要はあっても、なくせない。極論、他人のことでしょう。
こんな不毛な論を繰り返すくらいなら、背中で語れるくらいかっこいい生き方を大人が見せていくのが第一なんでしょう。

いちいち焦るな、慌てるな。人生まだまだ続くから。
※画像はイメージです。Unsplash

嫌な人がいても、いじめる気力がなくなるくらい自分を見つめてやりたいことに没頭していたら気にならないと思います。
自己浄化できる方法を確立することが先決なんでしょうね。
それすらも学べない社会になってしまったのでしょうかね。

自分は何をどうしていけるか、少し考えてみようと思います。

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