本を読みなさい、漫画ではないものにしなさい。
そんなくだらないものは読まないように。
頭がバカになっちゃうよ。
漫画がどのくらい知能に影響を与えるのか調べてみたこともないので、想像してみるしかないが、自分の場合は、王道漫画はなぜか家になく、なぜそのチョイスなのかと今でも自分を疑うようなギャグマンガを1種類購入して、小?中高と時間をおいて反復して読んでいた。読み返した回数は数知れず、この場面はこうしたらもっと面白いと書き込む始末だった。
そんな漫画を読む同級生もほんの数人程度で、みんなの話題についていけないことも多々あった。
上に書いたように、真面目に本を読んで、身になるような本を持ち歩いていたら少しはまともな人間になったのだろうかと振り返ってみるが、それは神のみぞ知るとしか言えないのかもしれない。
でも、確実なことは、この無駄な時間、無駄すぎる漫画が自分をどこかで支えてくれていることである。そんな時間を過ごしていなかったら、バカなことを考えられずに型にはまった人間になっていたのかもしれない。型破りは型を抑えたうえでのものであるが、発想の転換ができたときはとても楽しく、楽しい気持ちになる。
頭がバカになったかもしれないが、それは常識にとらわれている人から見たら、大馬鹿なのかもしれない。安住できる地からわざわざ抜け出て、何かをしでかそうとしているのだから。
ギャグマンガを今から熱心に読み返そうとは思わないが、漫画やイラストの作り出す雰囲気や世界観は自分の凝り固まった考え方や見方を変えてくれるいい相棒である。
自分が言葉遊びが好きなのも、言葉を拠り所に思いをつなぎとめているのも、ここにルーツがあるのかと思うと面白い。
真面目な本を読んでいないことを悔いるから、今から読むときにその味わいが増す。
いい内容であればあるほどに、自責の念も感じながら自分に浸透してまたいいと思う。
最初から真面目な本を真面目に読んでいたら到達できないような痛みを感じながら読めるのもいい経験だ。
これは自己正当化と取れる解釈だが、別にそれでもいい。
自分にとって身になり、引き出しの一つになるのはどっちの場合なのか自分で分かるからだ。
あるとき、人に言われた。
王道漫画を読んでこなかった自分に少し残念さを感じているんだと聞いたその人は、とんでもないことを言ってきた。
「それって、今からの人生がめっちゃ楽しいってことじゃん。」
ああ・・・。
なんて素敵なことを言っちゃうんだ。
みんなは読んでいて羨ましいと思っていたけど、その世界観を知らない自分が、それに触れることでまた楽しみが増すという見方。天才的だ。そう思った。
それから、していないこと、できていないことに悲観するのをやめた。
それは今からの伸びしろなのだと感じた。そう感じられるようになった。
平凡でつまらない人生であればあるほど、未来は輝かしいのだ。
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