【Summary】
生きてきて、何度か自分を離れたところから見てみて、俯瞰して、「自分ってなんだ?」と思ったことがある。
この俯瞰している自分と、そう感じる感情の主。
普段は周りから固有名詞で呼ばれ、立場・役職で認識される。
自分って何なのか立ち止まって考えてみるのも悪くはないのかな。
うーん(/・ω・)/フンバル
忙しく過ごしていると、
勉強に必死になっていると、
任されたことを一生懸命にやっていると、そんなことは考えないのかもしれない。
むしろ、考えないようにしているのかもしれない。
何のために生まれてきたのかなんてわからない。
これだ!と見つけてもそれに裏切られることもあるかもしれない。
逆に、こんなものと思っていたことにのめり込んでいるかもしれない。
今の時点でいいかどうか、自分の御役目なんてわからない。
でも、それに思いを馳せずに、感覚がマヒするかのように一生懸命に、忙しく過ごすのはなんだか違う。
自分はどんな性格なのか。
自分はどんなことに心が魅かれるのか。
何が嫌なのか、何が好きなのか、誰と一緒にいたいのか、いたくないのか、、、
そういう感情、感覚の集合体として自分がある。
そこに今までの人生でしてきた経験・失敗が混ざり合って、社会的な立場が勝手に形成され、周りに評価されている。
それが、外身の自分なんだと思う。
無意識のうちに、周りの人間とのパワーバランスから立ち居振る舞いを考え、キャラを作り過ごしている。
ま、そんなもんかね。
自分って、何だろう。
こう考えるのは大事だけど、考えすぎるとよくないようだ。
※やってみるとわかるけど、なんか辛くなる。存在意義・価値を疑っていることになるからかな。
自分は何ができるんだろう。
こう考えては辛くなる時期もある。
今がまさにそうかもしれない。周りと、どうしても比べてしまう。
自分がこうしていたらと過去の選択を悔やんでしまうことがあるかもしれない。
自分は何者か、何ができるのかはこれから作っていくもの。
何ができるかより、「何をしたいのか」が大事なんじゃないかな?
どの目的地に向かって行きたいのか。
何を成し遂げたいのか。
今までの自分は、正直どうでもいい。
失敗ばかりなら、これからは伸びしろしかない。
上手くいっていたなら、アドバンテージがあってよかったね。
どう転ぼうとも、いつか終わる、死というゴールまでは歩かなきゃいけない。
進まなきゃいけない。
その間にやることがあるなら、どうせなら、楽しく、笑顔で、快くやってみせようじゃないか。
自分が何者なのか、考えてみたけどわからなかった。
今から、毎日毎日、自分を定義して、壊して、進化して、生きていこうと思う(; ・`д・´)
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