「あ!頭切った!」そう叫んでいた保育園時代が皆さんにもあるでしょうか?
頭じゃなくて、髪の毛ね。と冷静に突っ込む周囲の人々。
でも、今振り返ってみると、子どもにとっては髪の毛も大事な頭の一部に見えているからそういう表現をしていたんじゃないのかな?と想像を膨らませていました。
単純に髪の毛という発想がないのではという冷たいツッコミは横に流しておきますw
さて、髪も伸びてきたので久しぶりに散髪に行ってきました。
初対面の方に髪を委ねるのは緊張しますが、そこはさすがのプロ。
気持ちをほぐし、さりげなく会話に誘うんですね✨ 上手すぎました✨
最近どうですかー?
少し最近寒いですよねー。
こんな映画見たんですよー。 とお話が弾みました。
どんな話の流れからそうなったのかわからないのもまた面白いですが、
「今の子たちって『蛙化現象』っていうのがあるみたいですよ。」
ん?かえる?なんだそれ。
さすがは流行に疎い僕でした。
例として挙げてくださったのが、
・好きな人に好きといわれると嫌いになってしまう。 でした。
それってもはや、好きじゃないんじゃないか?w
何を見て好きになって、何が好きで生きているのかわからないんじゃないだろうか?
ネット記事には、「自己肯定感が低い」と書いてましたが、自己肯定感というか自己分析が足りないのかなと。。。
あえて自分を振り返って記事にさらすつもりはありませんが、今までこんな人を好きになったなとか、こんなことに心が動くなとか、逆にこれは嫌いだ!ってのがあれば相手を蛙にしなくてもいいのかなと思いました。
どうやら最近は、「交際相手などの嫌な面を見て幻滅する」の意味合いでも使われるようですが、それって悲しいなと思いませんか?
好きって言われたら嫌いになる。
相手の嫌なところをみたら幻滅する。
これは恋愛以前に健全な社会生活が送れないのでは?と思ってしまいました。
相手の嫌なところをみたら言ってあげたらいいし、笑いに変えてあげれるくらいの度量があればいいのかなと思います。言うは易く行うは難しですが。。。
好きか嫌いで人や物事を判断するのはお終いにしないかい?
とあるアラサーの独り言 より
嫌いだけど好き。癖があるけどいい。
そういう世界線に生きてみるのもいいものさ。
こういう社会の現象を見て、自分はどうしたらいいのか、何かできることはあるのかと想像を膨らませてみるのも面白いですね。
これからは蛙化ではなく、いかに自分や相手を「変えるか」に焦点を当てていきたいですね( ´∀` )笑
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