うん、あ,の呼吸

自分哲学

【Summary】
阿吽の呼吸はよく聞きますね。めちゃ息合ってる。
でも、そんな理想にたどり着くまでには苦労は沢山あるんだよ、って世の中の大人は教えてくれない。
そう、カッコつけたがるから。
そんな大人に言いたい、ダサいぞって。
そんな気持ちを代弁したくて、叫びたくて書いてみました。


うん、あー?うん。(/・ω・)/???

なんか伝わってないなあ。

あー、そうそう、うんうん。・・・・・いや、ちょっとまった!!!

なんてことが日常のコミュニケーションにある。
うわの空で話を聞いていて、うんうん、なんて言っているときは頭に電流が流れていない。
そんなコミュニケーションをとっていると、後で言われる。
「あの時に、いったじゃん???!!!」じゃんじゃんじゃん・・・

こんな事態は、親しい間柄ほど、仲のいい人ほど、過ごす時間が長いほど起きる。
阿吽の呼吸を求めていたはずなのに、うん・あの呼吸になっているw

日常の生活で、そういう上手くいっていない状況をもっと認知しないといけない。
自分て適当なんだなとか、雑なんだなって。
え?自分は違うって?  そ、そうか・・・(/・ω・)/

親しい人ほど、もう一度、どういう気持ちで話しているのか、何を思って聞いているのか、どういう姿勢で耳を傾けているのかを再認識してみようかなと思いました(; ・`д・´)


はじめから、阿吽の呼吸があったのではなく、うん。あ。あれ?あー、あれね、あー。いつものね。
・・・あ。・・・うん。・・・阿吽。って感じだと思う。

こういう、熟語というか用語の成り立ち、生い立ちをもっと突き詰めないと理想との乖離に苦しむ人が出てくるのかなと思う。

だから、もっときれいな言葉のぐちゃぐちゃした背景を示してほしいなって思う。
※以上はすべて妄想の上で語っております。信じるも信じないもあなた次第(/・ω・)/


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