べんきょう

自分哲学

【Summary】
勉強する。勉強しなさい。勉強。勉強。
あなたにとっての勉強とは何でしょうか?
自分にとっての勉強を考察してみます。


ちょっと考えてみますか(/・ω・)/

受験生時代の勉強はある程度楽しめたのかなと思います。
→(あとでその時の体験記のLink貼るか)

大学生の時期にも勉強は好きでしたが、自分の悪い癖が出ていたなと思います。
もともと、何かを考える、疑問に思うのが習慣?というか癖になっていました。
「なんで?」「こう書いてあるけど、こうじゃないのかな?」などなど。
ただ、そう思ったのはいいものの、誰かと議論したり、すぐに調べたりせずに放置していることが多かったように思います。
いわゆる、『先延ばし』Pendingの天才でしたw

いつやるの?いつかでしょ!!

こうなると、苦手なことには何度も突き当たるのにちゃんと調べないから、また嫌な思いをする。
そのループに自分から見事にはまり、試験前になって「う。。。」と思いながら勉強しておりました。

この先延ばしの背景には、「いつかやればいい」という気持ちと、「誰かが何とかしてくれる」という他力本願な気持ちがあったのかなと思います。

他力本願寺

受験生や学生の頃は、そのくらいの覚悟?心持でやっていても何とかなっていました。
でも、社会に出たら問われるようになりました。
「君は、どうしたいの?」と。

先延ばし&他力本願の人間は、自分で考える習慣が無くなっているので、その場をごまかす能力が長けていても、根本的解決や方針を考える力がありません。

そんなことがあっても、逃げて逃げて逃げて、その場その場を何とか切り抜けてきました。

ここどこー???

その度に、なぜか向き合わないといけなくなるような事態が起きます。
勉強しろよと、覚悟決めろよと問いかけられているかのように。

結局、なんだかんだ言い訳をして、逃げていた自分に向き合わなければ、同じ事態が続きます。
勉強が嫌に感じるのは、自分の身を守るため、こなすため、その場を切り抜けるためにしているから。

でも、そうじゃなくて、目の前の困っている人、苦しんでいる人を見て、「何かできることは?」と調べる。学ぶ。

そう、
誰かの役に立つために学ぶ。
知識を付けて知恵になるよう工夫し、社会に還元する。

そういう気持ちで勉強すると楽しい。
というか、勝手に勉強している。

これが勉強なのかなと感じました。


これから、学んだことのOutputも兼ねて、何か読んでくださる人のためになるような記事を書いていこうと思います。


自分にとっての勉強は他者貢献なのかなと。

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